3回目の受診の際、先生から「ん?育ってないね。とりあえずまた来週来て。確定するから。」
確定って、流産確定ってことですか?
目も合わせず、事務的な先生の態度が悲しくて、病院を変えました。
気持ちに寄り添った対応をしてほしい、励ましてほしい、なんて
何人もの患者さんに接している先生に求めてはいけないのかもしれないけど、
この時の自分はそれすら堪えられないくらいメンタルが弱っていました。
3/4 新しい病院を受診。
先生に、これまでの経緯を伝えました。
先生は「拝見します。」と診察をし、
その後「胎芽の成長がなく、動いていないです。残念ですが稽留流産です。」と静かにおっしゃいました。
このまま何もしなくても、いずれ出血し流れるが、
先のことを考えるなら手術をして、早く子宮をもとの状態に戻し次の妊娠に向けて動いた方がよい、とのことでした。
私はその場で手術を選びました。
やばい、泣きそう。早くひとりになりたい。
早く車に戻ってわんわん泣きたいのに、会計までがとても長く感じました。
そして車に戻った途端とめどなく涙が溢れた。
私、おかあさんになりたかったんだ。
陽性反応が出たとき、何とも言えない嬉しさとそれを上回る不安に襲われた。
悪い予感めいたものはあった。言葉では説明できない自分にしか分からない何か。
流産の診断を受けた時、やっぱりそうだったんだという気持ちと、不安に駆られた日々が終わり次に向かえる少しの安堵。
動いてはいなくても今お腹にいる。手術の日は辛いだろうな。
短い短いおかあさんだった。
そして不思議なことに、流産が確定してすぐ、
パンパンに張っていた胸も役割を果たす日を待たず元に戻った。
体調の違和感も完全に消えた。
家に戻り、部屋で泣いていたら旦那さんが仕事を終えて戻ってきた。
泣きじゃくる私の頭を撫でながら、そんなにとんとん拍子にはいかないよ、って。
彼も辛かったはず。でもいつもと同じように、居てくれた。
そしてコンビニでビールを買って、飲んだ。
まずいまずいビールだった。
改めて思うが、妊娠は奇跡の連続だ。
努力したから結果が出るわけではなく、
そこには大きな大きな、人の力ではコントロールできない何かがある。
でも思ってしまう。何がいけなかったんだろうって。
私は自分の身体を大切にしなかった。
言い訳はいくらでもある。でも、大切にできなかった。
睡眠不足がたたり、朝会社へ行くために駅に向かう途中、交差点の信号待ちで自転車につかまったまま寝落ちしたことがあった。
赤ちゃんは自分の命を使って「身体を大切にして」って言いに来てくれたんだろうか。それを伝えるために尊い命を使ったのなら切なすぎる。
もしいつか赤ちゃんがお腹に帰ってきてくれたら、
心に余裕をもって、「おかえり、今度は安心して産まれてね。」って迎えたい。
旦那さんとの生活を大切にし、また出会えるかもしれない小さな命を守ることより大切なことなどない。
迷いが消えた。会社を辞めてきちんと籍を入れ、女将に専念する。
流産の宣告をされた翌日から出血が始まり、腹痛もかなりある。
そしてその二日後、身体の中のものが排出された。
3/12に手術と決まっていたが、おそらくその必要はないだろう。
手術予定日、病院で先生に報告し、診察。
子宮内にはわずかな血が残っているのみ。手術中止。
出血は来週中にはなくなり、一か月半ほどで生理再開するだろう、とのことだった。
3/18に出血がおさまり、翌日母に報告した。
辛い出来事だったが、この時のことは心情も含めマメに記録していた。
結局その後妊活は実らなかったが、妊娠できたという事実は私の支えにもなっていたのは確か。
こうして振り返っても、少しウルウルしてしまいます。
この話は一旦終わります。