受け入れられなかった父の病気

家族

病名が分かっても到底受け入れられませんでした。
母はもちろん、私もショックが大きすぎました。
離れて暮らす兄にも母から伝えました。

これからどうやって父と接すればよいか、
進行が進んだ時どうすればよいか、
60代後半とはいえ、まだ会社勤めをしていたので、
仕事は?車の運転は?周りの人への告知は?

考えるべきことはたくさんあるのに、
気持ちが全然追いついていきません。

その中でも病気は少しずつ、確実に進行していきます。

何を見ても読んでも、まったく頭に入ってこないという。
運転していたら道が分からなくなったという。
家族で銭湯に行っても待ち合わせ時間を忘れて出てこない。
時には家族と来たことを忘れ一人で帰ってしまう。

友達のおじいちゃんはまだ元気なのに、どうしてうちはお父さんが。。
父より年上の親族に世話を焼かれている父を見ると
なんとも情けない恥ずかしい気持ちになりました。

私は本屋で脳トレやドリルの本を買って父に強制的にやらせようとしました。
少しでも進行を食い止めなくては、と必死でした。
今思えば、嫌なことをさせて父を苦しめたんだなぁと胸が痛くなります。
相当なストレスだったよね、お父さんごめんね。

このあたりから父は仕事を辞めました。
当然、免許も返納しました。
運転が大好きだった父から免許を奪うことはとても辛いことでした。
可哀そう、と母は泣きました。
ただ、万が一でも父が判断を誤り他人様を傷つけるようなことだけはあってはならない。
保険会社に勤めていた私は、「加害者が認知症の方」というケースを時に目にしました。
どうして家族は運転を辞めさせないのだろう、無責任じゃないか、と思いました。
事故を起こしても、自分の行動を警察にきちんと話すこともできない。
他人にケガをさせて、もし事故のことすら忘れてしまったら、被害者のご家族はたまったものではない。
加害者が認知症だろうが、大切な家族を傷つけられたらそんなこと関係ない。

症状はさらに進行し、

お刺身に醤油をつけることを忘れ、味噌汁に入れてしまう。
ズボンの片足に両足を突っ込んでしまう。
靴を左右逆に履こうとする。

そしてだんだん怒りっぽくなってきました。
着替えを手伝っている時、少し急かしたり「違うよ」というと
もういい!と不貞腐れます。

とあるお正月、父母私の3人で自宅にいた時、
突然父が暴れました。
目は吊り上がり、立ち上がって暴言を吐く。初めて見た父の姿でした。
あんなに優しかったのに、お父さんどうしちゃったの。
悲しくて悲しくてたまらなかった。
兄に電話をしましたが駆けつけてくれることもなく、
本気で警察に電話をしようかと思ったほどです。
しばらくして落ち着くと、先ほどの剣幕がうそのように穏やかな笑みを浮かべています。
もう何が何だか分かりません。
母と二人、とても心細い気持ちで過ごした最悪なお正月でした。

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