週に2回ほど施設へ通っていた父ですが、
ついに入所することになりました。
この決断は、認知症を家族に持つ方なら誰もが苦しむ瞬間だと思います。
なぜなら、本人の意思を確認できないから。
本人は嫌なんじゃないか、自分が楽になりたいだけなんじゃないか、
これまで家族のために必死で頑張ってくれたのに、
そんな大切な家族を施設に入れるなんて、なんて可哀そうなことを。
母はそれはそれは父を大切にしていました。
できることは全てやった、あれ以上の看病はできない。娘から見てそう思います。
そんな母でも、父が他界した後「入所させるんじゃなかった」と
後悔を口にしたことが何度かあります。
どんなに頑張っても「もっとできたんじゃないか」と思うし、
どんなに寄り添っても「もっと気持ちを分かってあげられたら」と思う。
介護や看病ってそういうものかもしれません。
認知症が増えている昨今、専門家や医師、介護の経験者が口を揃えるのは、
「一人で悩まないで」「プロに任せることも大切」ということ。
本当にそう思います。でも、当事者でいる間はそう思えないものです。
認知症はまだまだ完治する薬もなく、
その人がその人らしく生きることを根底から奪ってしまう、とても憎い病気です。
そして介護は、いつまで続くか分からない暗いトンネルの中を
ひたすら歩くようなものです。
人によっては、介護する側の心が壊れてしまうこともあるかもしれません。
えらそうなことが言える程、父に尽くせなかった私ですが、
認知症の家族を持つ方自身がまずは自分を大切にすること、それに尽きると思います。
自分を大切にすることは、自分以外の人を大切にしないこととイコールではありません。
認知症の方は、意思疎通ができなくても、自分のせいで家族が犠牲になることなど望んでいないはずです。介護が生活のすべてになってはいけません。疲れると人はどうしても悪い方に考えがちになります。
一緒にいる時は心を込めて寄り添う。
離れている時は自分の時間を大切にする。
そうやってメリハリをつけて生活をすることが大切だと思います。
もちろん最初は混乱し、そのことばかり考えてしまうかもしれません。
相手が大切な人ならなおさらです。
無理にでも他のことをする時間、考える時間を持つことが
長い介護をする上で自分自身を保つための秘訣だと思います。
父が施設に入所してから、母は毎日父に会いに行っていました。
自宅に戻れば介護から離れ、寂しい反面身体は楽になります。
「明日はお父さんにお饅頭を持っていこうかな」
なんて言いながら、嬉しそうに通っていました。
母はこんなに父のことが好きだったんだな、と気が付きました。
介護の傍ら、私と母で旅行を楽しむこともありました。
そんな風にバランスをうまくとりながら過ごしていたと思います。
残念ながら父は、そのあと亡くなるまで
自宅に戻ることはありませんでした。